好き嫌い
私の友人に好き嫌いを、はっきりと口に出す人がいる
「わたしはチラシ寿司嫌いだから」とか
「○○は、まずいから行かない」とか
「お魚は、△△マーケットじゃなきゃ買わない」とか
「わたしは、パスタソース一から手作りだから」とか
要するに何にしても、こだわりが強く、またそれをハッキリと口に出す
最初、そのハッキリした物言いに、驚いた
レストランで、私が選ぼうとしているものに「わたしはそれ好きじゃないから、○○にする」と言われると、ドギマギした
どう返事したものかわからなくて、頭が真っ白になる思いだった
途端に何が食べたいのかわからなくなったり
もちろん彼女に悪気はない
ぜんぜんない
ただ、思ったことを思った通りに言っているだけ
何が好きで、何が嫌いか、そういう好みがあってはいけないように育った
父にとって蕎麦はうどんより高尚な食べ物で、蕎麦よりうどんが好きだった私は、蕎麦の味のわからない情けない娘だった
「わたしは○○は嫌い」と言った時、その○○が父も嫌いならそれでよし
父が好きなものなら、蔑みの言葉が返ってくる
よいもの、正しいもの、価値があるなしの基準は、すべて父の物差しで決まった
私の物差しは、簡単にへし折られ、何度新しいのを手に入れても、同じことだった
もちろん、私は反抗した
口で、態度で、行動で
母は、親を反面教師と思って、と言った
言うのは簡単だ
反抗し、そうならないように、ああならないように、自分なりにあるべき姿を模索して、もがいてきたのに、もう50代も半ば過ぎた頃、私の中に父の基準がいつの間にか刷り込まれていることに気づいて、愕然とした
自分が、何が好きで何が嫌いなのかが、わからないまま、時にはわかったようなふりをして、なんとかかんとか60年生きてきた
今やっと、自分は何が好きなのか、何が嫌いなのか
身の回りの小さなことから、やり始めている
好きなことやり、好きなものを選んでいいんだよ、と自分自身に語りかけ
嫌なことはやらなくてもいい、嫌なものを受け取らなくてもいいことを、自分に教えている
まずは、小さな一歩から