続 阪神淡路大震災
卓上コンロのガスボンベを載せたカートを引っ張りながら、JRの階段を上ったり下りたりして、乗り換え、乗り換え、川西の家に着いた
家で何をしたのか、今となってはぜんぜん覚えていないが、週末の一泊か二泊だから、たいしたことはできなかったはずだ
買い物に行って、鍋でも食べたんだと思う
はっきり覚えているのは、私が東京に帰る時だ
母とふたりで、最寄りの駅から能勢電鉄に乗り、阪急電車に乗り換える駅で降りて、駅近くの銭湯へ行った
震災以来、母は風呂に入っていなかったから、暖かい湯舟につかって、体や髪を洗えばさっぱりするだろうと思った
当時は、インターネットなんてまだなかったから、駅で降りて行き当たりばったりでみつけたんだろう
今あるようなスーパー銭湯じゃなくて、昔からあるような小さい地元の銭湯だった
でも、湯気が立ち上る、暖かいお風呂は、冷えた体にうれしかった
銭湯から出てきたら、雪がちらついていた
駅での別れ際に、「ありがとう」以外にも、母は何か私に言っただろうけど覚えていない
私を見る母の大きな瞳が、少し涙ぐんでいたような記憶がある
翌月の2月、私は前々から予定していた初めてのハワイ旅行に、会社の同期の子とふたりで行った
ハワイへ行くことを母に伝えると
「こんなに大勢の人が震災で苦労している時に、ハワイへ遊びに行くなんて」
と私に言った
「私がハワイ行きをキャンセルしたって、被災した人の助けにはならないから」
といって、私は予定通り旅に出た
母は、なにかにつけ、そういう人だった