はりぼてタコのひとりごと

(旧)なめたらいかんぜよ!タコの毒吐きブログ

母のこと-6

暮れも押し迫った頃に亡くなった伯父の通夜と葬儀に、父と参列した

葬儀が終わった後、川西で留守を守る母に電話をしたら

電話には出るが、ほとんどしゃべらない

何か尋ねても、答えが帰ってこない

 

これはおかしい

また調子が悪くなったに違いない

 

父とふたり新幹線(だったと思う)で、川西へ取って返した

すでに大晦日だったと思う

 

母の状態はあきらかに悪化していた

 

その母を見て、父はものすごく不機嫌になり

また始まった、としか私には思えない、グタグタが嫌で

年越しの人で賑わう近所にある神社へ、避難がてら歩いて行った

 

歩いていく私の背後から、母が「○○ちゃーん」と呼んだのが聞こえたけど

手を振って、そのまま神社へ歩き続けた

後に父は「お前は、ママが呼ぶのに無視して行って、神社で買い食いしていた」

と私を責めた

神社の出店で何か食べたような気もするけど、よく覚えていない

 

急を知って、妹が今の旦那H君が運転する車で東京から駆けつけた

驚いたことに、妹たちが着いた時には、母はまったく動けなくなっていた

まるで、硬直しているかのようだった

話もできない

鬱で、体が動かなくなるなんて、想像したこともなかった

 

そんな母を後部座席に押し込めるようにして乗せて

H君が運転する車で、東京へ向かった

雨だったような記憶がある

当時、妹は看護師として働いていて、それまでも彼女のつてで母は入院していたので

また、そこへ連れてゆくことにしたのだ

 

途中のサービスエリアで、母の水分補給をしたりしながら

(トイレはどうしたのか憶えてない)

無事、東京の病院に着いた

が、ベッドに空きがない

仕方ないので、これも以前にいっとき入院したことがある調布の病院へ入院することになった

 

車いすに座った母は、話すことはできず、目だけはっきりと見開いている

その母の目を見ながら

「もう大丈夫だよ、ちゃんと面倒みるから」

「心配しないで、ゆっくり治そうね」

というようなことを言った

 

それは本心だった

 

だけど、母はこれ以上、娘たちに迷惑をかけたくないと思ったんだろう

そして、生きるのあきらめた んだと思う

 

 

母は川西の家に戻る前に、血液検査など、身体全般にわたる健康診断を受けていた

母が亡くなってしばらくしてからその結果の報告がきた

どこにも異常はなかった

 

 

 

 

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