栗色のピアノ
洋館や教会があちこちにある、異国情緒豊かな港町の函館で育ったせいだろうか
私立のカトリック女子高へ通ったせいだろうか
海産物卸業をする家に生まれ育った、乳母日傘で、ソフトボールのピッチャーだったべっぴんさんの母は、クラシックが好きだった
でも、コンサートに足を運んだことは、なかったと思う
地方に住んでいた時はもちろん、東京に引っ越しても
年末に恒例のウィーンフィルの演奏が、NHKで放映されるのを、台所でおせちの支度をしながらうれしそうに聞いていた
一度くらい、当時できたばかりだったサントリーホールへ連れて行って、コンサート聞かせてあげたい、と思ったけど、実現しなかったはず
そんな母の影響なのか
小金井に住んでいた、中学・高校時代、私は枕元にレコードプレイヤーを置いて
白鳥の湖や眠れる森の美女のバレエ音楽を、レコードで聴きながら眠った
レコードが終わると、針は自動的に戻るから、ちょうどいい子守唄だった
広島に住んでいた時、ピアノがうちに来た
両親が買ってくれたのか、祖母だったのか、記憶にない
広島に引っ越してから、オルガンを熱心に弾くようになった私に、それならピアノをと思ったらしい
届いたピアノは、よくある黒いのじゃなくて、とってもきれいな栗色のつやつやした美しいアップライトピアノだった
ピアノのトップにかけてあるカバーは、美しい深緑色のビロードに同じ色のレース
私は、ひとめで恋に落ちた
毎日言われなくてもピアノの前に向かった
両手で弾けるようになる前に、片手ずつ練習するのも、まったく苦にならなかった
夢中になって、ピアノにのめり込んだ
広島で通ったはずのピアノの先生のことは、ぜんぜん覚えていない
でも、次に引っ越した伊丹で教わったM先生のことは、今でもよく覚えている
先生は若い女性で、私が住んでいた社宅の近くにあった自衛隊官舎に住む人の家に、週一回教えに来ていて、私はそのお宅に通った
私は、家庭で感じている悲しみや苦しみ、怒りを、時に激しく鍵盤をたたくことで、ピアノの音色に乗せることで表現していたと思う
美しいピアノのメロディが、嫌なことをすべて昇華してくれる
そんな気持ちが、無意識にあったと思う
そんな私が、情感を込めて弾くピアノを、先生はとても褒めてくれた
弾いている私のとなりでよく「歌って、歌って~」と思いを込めるようにうながした
あるとき、どういう理由だったか記憶にないが、先生が私を自宅に招待してくれた
電車かバスか、それとも両方だったかで、最寄りの駅まで行って、迎えに来てくれた先生に連れられて、おうちへ
先生のお母さまにも紹介されたような・・・
美味しい洋菓子と紅茶をごちそうになって、先生のピアノで何か弾いたように思う
大好きなピアノの先生に可愛がってもらえることは、うれしかった
でも、素直にそのやさしさを信じられない自分がいた
なんで、こんなに親切に優しく親しくしてくれるのか、よくわからなかった
何かこれまで見たことのない珍しいモノを、首をかしげながら遠巻きに見ている感じだ
これは、何・・・?
中3の秋に、伊丹から小金井に引っ越して、先生ともお別れすることになった
しばらくはハガキのやりとりをしていたけど
しばらくして、いつのまにか疎遠になった
私のよいところを口にだして、褒めてくれた初めてのひとだったと思う
私を可愛がってくれたひとだった
今も時々このM先生のことを思い出す
ずっと連絡を続けておけばよかった
小金井に引っ越して、少しの間新しい先生についたけれど
しばらくして通うのを止めてしまった
それでもピアノは、家で時々弾き続けた
市川で、私がピアノを弾くと、母は台所で仕事をしながら喜んで聞いていた
そのピアノは、今、妹の家にいる
私の家には、数年前にオットがクリスマスに買ってくれた電子ピアノがある
もうずっと弾いてない
また弾いてみようか、と思っている