戦時中のモノがない、食べ物もない時代に、多感であろう少年時代を過ごした父は
モノを買う時はよいものを
食べる物は、美味しいものを求めた
戦後の高度成長期で、経済的にゆとりもあったんだろう、少々値が張っても、いとわなかった
品物を選ぶセンスも悪くなかった、どちらかといえばよかった
市川のマンションの木製のダイニングテーブルとイスのセット
川西の家に引っ越した時に買った、ブルー系のペルシャ絨毯
私に買ってくれた薄い長方形のフレームに、薄っすらパープルがかったワニ皮のベルトがついたおしゃれな腕時計
就職祝いだったか
私の目からみて、どれもセンスがよかった
でも、贈り物にまつわる思い出には、今でも思い出すと嫌な気持ちになるものがある
東京で勤めていた私は、出勤していた平日に、父に呼び出されて銀座へ行った
昼休みだったのか
銀座の和光で、ハンドバッグを選ぶためだ
誰の?
高知に住む(あるいはその時、大学のため上京していた?)私より幾つか若い従妹のためだ
地下鉄二駅とはいえ、制服のままわざわざ会社から抜けてきて、高級なハンドバッグを選ぶのを手伝った私には、父は何も買ってくれなかった
あの有名な和光のハンドバッグを従妹には買い与えるのに、私には買ってくれない
お前にはそんな価値はない、と言われているような気がした
次は、ティファニーのシルバーのネックレス
従妹の大学卒業祝いか、何かだったんだろう
当時、東京の虎ノ門病院に難病の治療で入院していたおば(従妹の母)を見舞った時に
母が、従妹に渡していた記憶がある
ティファニーのネックレスに、喜ぶ従妹
私だって欲しいのに
どうして私には買ってくれないんだ、と心の中で恨んだが、親には言わなかった
極めつけは、当時人気だったひと粒ダイヤのネックレス
両親が川西に住んでいる時だったか・・・
父が「買ってやる」というから
母と3人でデパートへ行った
外商に日頃世話になっている担当者がいたらしい
きらきらかがやくダイヤモンドがならぶショーケース
珍しくワクワクした
小粒だけどキラッと輝くカットのものが気に入って、それが欲しいと言った
なのに、そのダイヤは質が劣るとか、なんとかいろいろ言われ
結局、外商の人と父が勧めるものを、買うことになった
そういう方向に話が進み始めた時点で、私はむくれて、投げやりになった
商品を見せられて、私が気に入って選んだのに、それじゃなく自分がいいと思うものを買い与えるんなら、なんで私を一緒に連れてくるんだよ
こんなんなら、自分たちで決めて買ってきたものを私に渡してくれればいいのに
と、ムカムカした
高い買い物だったろうが、きれいに包装されたネックレスの小箱を受け取って、口から出た「ありがとう」は、まったくもって形ばかり、心なんてこもっているはずなかった
そのネックレスをつけるたびに、うれしさよりも、買った時の苦い思い出がよみがえった
後に、ハワイで今のオットと借りていた部屋に空き巣が入った時、そのネックレスも盗まれた
数えるほどしか持ってないジュエリーのうちで、一番高いものだったから、その意味ではがっかりしたけど、愛着はあまりなかった
お勤め時代に自分で気に入って買った、くずダイヤが散りばめられたパヴェリングも一緒に盗まれた
こっちのほうがはるかに悲しかった