はりぼてタコのひとりごと

(旧)なめたらいかんぜよ!タコの毒吐きブログ

父の血 その4

戦時中のモノがない、食べ物もない時代に、多感であろう少年時代を過ごした父は

モノを買う時はよいものを

食べる物は、美味しいものを求めた

戦後の高度成長期で、経済的にゆとりもあったんだろう、少々値が張っても、いとわなかった

 

品物を選ぶセンスも悪くなかった、どちらかといえばよかった

市川のマンションの木製のダイニングテーブルとイスのセット

川西の家に引っ越した時に買った、ブルー系のペルシャ絨毯

私に買ってくれた薄い長方形のフレームに、薄っすらパープルがかったワニ皮のベルトがついたおしゃれな腕時計

就職祝いだったか

私の目からみて、どれもセンスがよかった

 

でも、贈り物にまつわる思い出には、今でも思い出すと嫌な気持ちになるものがある

 

東京で勤めていた私は、出勤していた平日に、父に呼び出されて銀座へ行った

昼休みだったのか

銀座の和光で、ハンドバッグを選ぶためだ

誰の?

高知に住む(あるいはその時、大学のため上京していた?)私より幾つか若い従妹のためだ

地下鉄二駅とはいえ、制服のままわざわざ会社から抜けてきて、高級なハンドバッグを選ぶのを手伝った私には、父は何も買ってくれなかった

あの有名な和光のハンドバッグを従妹には買い与えるのに、私には買ってくれない

お前にはそんな価値はない、と言われているような気がした

 

次は、ティファニーのシルバーのネックレス

従妹の大学卒業祝いか、何かだったんだろう

当時、東京の虎ノ門病院に難病の治療で入院していたおば(従妹の母)を見舞った時に

母が、従妹に渡していた記憶がある

ティファニーのネックレスに、喜ぶ従妹

私だって欲しいのに

どうして私には買ってくれないんだ、と心の中で恨んだが、親には言わなかった

 

極めつけは、当時人気だったひと粒ダイヤのネックレス

両親が川西に住んでいる時だったか・・・

父が「買ってやる」というから

母と3人でデパートへ行った

外商に日頃世話になっている担当者がいたらしい

きらきらかがやくダイヤモンドがならぶショーケース

珍しくワクワクした

小粒だけどキラッと輝くカットのものが気に入って、それが欲しいと言った

 

なのに、そのダイヤは質が劣るとか、なんとかいろいろ言われ

結局、外商の人と父が勧めるものを、買うことになった

そういう方向に話が進み始めた時点で、私はむくれて、投げやりになった

 

商品を見せられて、私が気に入って選んだのに、それじゃなく自分がいいと思うものを買い与えるんなら、なんで私を一緒に連れてくるんだよ

こんなんなら、自分たちで決めて買ってきたものを私に渡してくれればいいのに

と、ムカムカした

 

高い買い物だったろうが、きれいに包装されたネックレスの小箱を受け取って、口から出た「ありがとう」は、まったくもって形ばかり、心なんてこもっているはずなかった

 

そのネックレスをつけるたびに、うれしさよりも、買った時の苦い思い出がよみがえった

 

後に、ハワイで今のオットと借りていた部屋に空き巣が入った時、そのネックレスも盗まれた

数えるほどしか持ってないジュエリーのうちで、一番高いものだったから、その意味ではがっかりしたけど、愛着はあまりなかった

お勤め時代に自分で気に入って買った、くずダイヤが散りばめられたパヴェリングも一緒に盗まれた

 

こっちのほうがはるかに悲しかった

 

 

 

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