父の血 その3
父に反抗しながらも、父の言動に私は振り回された
高校受験をきっかけに英語が得意で好きになったから、大学は英文科に進もうと思った
受験は、数学が苦手で嫌いだったから、共通一次のある国立ではなく
得意な文系科目に絞って勉強したほうがいいと思った
そう父に言ったら
「やってみないでどうする!」
押し切られて、嫌々理系の勉強もせざるを得なくなった
私の志望校のリストを見て、担任の先生が私に言った「浪人するつもり?」
当然ながら、国立は落ちたし、他の私立もほぼすべて落ち、たったひとつ女子大の英文科にひっかかった
大学卒業後、何をしたいのか全然わからなかった
どういう訳か、父は大学院に行きたいならそれもいい、と言ったが
これ以上、学校で勉強する気はなかった
当時難関だった教員採用試験にどういう訳か受かったが、校内暴力で荒れていた当時、教員になって、生徒を指導していくなんて、とてもできそうになかった
そもそも自分自身が不安定なのに、無理だと思った
就職するにしても、どこに勤めたいのか、さっぱりわからなかった
聞いたことがあるような会社をいくつか選んで、ほぼすべて落ち
父の勧めで受けた財閥系の化学メーカーにかろうじて受かった
入社して、研修が終わった後に配属されたのは、営業だった
父は「なんだ人事部じゃないのか」とバカにするように言った
経理や勤労など管理畑ばかり歩いてきた父は、どうやら営業を見下していたらしい
アメリカに住むようになり、学校で知り合った10歳年下の今のオットと結婚した
いろいろゴタゴタしていると、父は私に言い放った
「年上なんだから、お前がひっぱっていかないでどうする!」
私は「ええっ?!」と思った
そんな教育受けてないよ
子供のころから、ずっと
「お前は何もわかっていない」
「親の言うことを聞いていればいいんだ」
とことあるごとに私に言い続けてきたじゃん?
今頃になって、急に主導権もって、物事すすめろって言われてもさ
できるわけないじゃん
そんな都合のいいこと、言うなよ!
結婚が暗礁に乗り上げた私は、もともと住みたかったハワイに戻って、ひとりでやり直せるか試してみることにした
ギリギリまで父には言わなかったが、それを知った父からは
これ以上ネガティブな書き方はないだろう、という内容のEメールがきた
「ホームレスになって野垂れ死ぬのが、目に見える」みたいなことが書いてあって
字面を追っているだけで、メールから目をそむけたくなるような嫌な書きようだった
あまりにひどいので、こっちの日本人の友達に転送して読んでもらった
「これは、ひどい」と彼女は私に同情してくれた
私自身だって、この先どうなるか不安でいっぱいだったのに、ホームレスになる、とか言われると、私だっていい気持ちはしない
現実に、ホームレスやらバッグレディやらがあちこちにいるアメリカに住んでるんだし
このころから、私は、父からメールが来ても、読むだけ読んでほとんど返事をしなくなった
ときにはしつこいほどにメールが届いたが、必要最低限の返事にとどめ、あとは黙っていることにした