鶴見の団地
私が生まれた時、一家4人が住んでいた亀有の借り上げ社宅から、鶴見の新築の社宅団地へ引っ越した
借り上げ社宅の区域が道路になるから、立ち退かないといけなかったんだと思う
多分、東京オリンピックのためだろう
今、思い出したが、亀有の他にも板橋にも社宅があったはずだ
両親たちは、そこにも住んだんだろうか・・・?
わからない
後で気が向いたら、父の自伝冊子を見てみよう
私の記憶では、鶴見の団地は、少し小高い場所にあって、前も後ろもひろい野原だった
というか空き地だったんだろう
ひとりで野原に座ってシロツメクサを摘んで、花の冠を編んだ
男の子たちと一緒になって、団地の玄関の前に置いてある配達ボックスからヤクルトを盗んで飲んだりした
英語のクラスにも通っていた記憶がある
暗い感じの教室だったことだけ、覚えている
先生や一緒に習った友達のことは、なにも記憶にない
台風がくるからと、ベランダに面したガラスのスライド窓にテープで目張りをした
隣に住んでいたSさんとは、ベランダ越しに、ものをやりとりしたりした
このご家族とは長いおつきあいになった
母が急死した時には、女川から東京まで、いの一番に飛んできてくれた
昨年、父が亡くなった時も、今は未亡人になった奥さんが、コロナ禍のなか、足が悪いのにもかかわらず、父の自宅まで息子さんと一緒にお別れに来てくださった
会社の行事で海へ行って、多分潮干狩りだろう、父の背中が日に焼けて真っ赤になった
ぴらぴらになった父の背中の皮をはがすのがおもしろくて、はしゃいだ
ここで、小学校に入学したはずだが、ぜんぜん記憶がない
仲良しの友達は・・・いなかったと思う
ぜんぜん覚えてない