はりぼてタコのひとりごと

(旧)なめたらいかんぜよ!タコの毒吐きブログ

張りぼてのわたし

いつ頃からか、記憶がないけれど

いつの間にか「あるべき姿」というのを理解して

その「あるべき姿」を演じてきた気がする

 

明るく

前向きで

思いやりがあり

親切で

勉強もし

部活もし

仕事もでき

率先して物事を進め

子どもや老人に優しく

気が利き

 

などなど・・・

 

でも、ほとんどのことは

頭で理解して、とってつけただけ

文字通り張りぼてのわたし

 

その張りぼてをはずし、仮面を取ったら

そこにいるのは

不安でたまらず

自分を取り囲む世界が怖くてたまらず

どうしていいのかわからず

でも、そんな本音を誰にも言えず

 

そんな自分を、不安な気持ちを隠して、なんとか毎日生きている

そんな痛々しい娘だった

 

自分がそんな痛々しい娘だったことに

最近になってようやく気がついた

 

夜中や早朝目が覚めた時、やり場のない不安に押しつぶされそうになる

となりで丸まってる猫と一緒になって

どこかへ消えてしまいたい

 

日々の小さなしあわせを喜べる日もあったのに

どうしてまた、こうやって奈落の底へ落ちてしまうのか

生きることへの希望が、見えない

 

 

 

 

 

誰とも話していない

去年の8月はじめから、気持ちが下降しはじめ

10月半ばには、急に膝の痛みで、歩くのはもちろん、階段の上り下りも普通にできなくなり

11月から通い始めた新しいアメリカ人のカウンセラーとも、なんだかしっくりゆかず

 

今年に入って通い始めたカイロプラクティックのおかげで、杖なしで歩けるようになったし、階段もずいぶん楽になったけど、まだ膝回りのツッパリ感はあり

週2回の通院は続き

 

マンモグラフィ検査と婦人科の検診もしないといけないのに、予約を入れておらず

 

そしたら、昨日、右奥歯のかぶせものが割れて、欠けた・・・

 

踏んだり蹴ったりとは、このことだ

 

 

鬱っぽい状態は続いていて、昼頃までベッドから出られない

 

医者へ行って、抗不安剤をもらったほうがいいんだろうか

 

夜も2時過ぎ頃、目が覚めて、それ以降はぐっすりと眠れない

うつらうつらと眠っているようだが、眠った気がしない

ほぼ一日、ネットばかりしているから、体は疲れてはいない

だから眠れないんだと思う

が、ほかの事は何もする気になれない

 

誰とも話していない

オットが仕事から戻ってきても、ほんのちょっとあたりさわりのないことを話すだけ

 

孤立している

 

 

思いやり

本当は認めたくないけれど

私には人を思いやる心、気持ちが欠けている

 

そのことに罪悪感がある

自分はなんてひどい人間なんだろう、と思う

還暦すぎて、60年以上生きてきたのに、これだ

 

 

そしたら、こんな言葉に出会った

 

「本来、思いやりなどは幼い時から主として母の態度を摂取して身につくものなので、大声でいいきかせてみてもできるものではないでしょう」

ー人間ごと来談簿 247p 木田恵子著

 

そうか・・・そうなのか・・・

 

私は、母が私を思いやってくれた、とか母と心を通わせた、という記憶がない

もともと母との思い出がほとんどない、というかほとんど憶えていないのだが

 

だから、私には人を思いやる、ことができないんだ

どうやって人を思いやればいいのか、考えると、頭が真っ白になる

どうしたらいいかわからないので、頭も心も、ほぼパニックに陥る

 

それは、私が悪いから、ではなく

してもらったことがないから(してもらったと感じられなかったから)

わからないだけ・・・?

 

見たことも、食べたこともない料理の味がわからないのと同じ・・・?

 

だったら、人を思いやる気持ちがわからない自分を責めなくてもよい、はず

 

思いやりの心が持てない自分を自覚するのは、痛すぎるし、辛い

 

でも、母から思いやってもらえたと感じることができなかった子供時代の私は、どんなに心細く、寂しかったか

内心は寂しくて、心細くて、怖くて、不安でたまらなかったのに、それでも平気なフリをして、突っ張ってきた子供時代の私をなぐさめて、労わってあげる必要がある

 

でも、私には今、その平気なフリをして心のうちを見せないよう頑張っている小さな自分を、どうやってなぐさめたらいいのか、わからない

 

自分に優しく、どうやったらこれができるのか

 

私の中には、まだまだ批判的な親、子供をどう扱ったらいいのかわからず当惑する親が住んでいて、小さな私を厳しい目で見つめたり、突き放したりしている

 

長いことひとりでがんばってきた小さな私に寄り添い、深い心の傷をいやしてあげることが、私の大切な仕事

それは頭でわかっているのに、どうしたらいいのかわからないのが、今の私

 

そんな自分をまた責めてしまうんだけど

責めてしまう自分さえも、「あなたが悪いんじゃない」と弁護して「それでいいよ」と受容してあげる

これが練習

 

私の理解と歩みは、カメの歩みのように遅いのかもしれない

私は、自分がカメのようにのろい、ってことを、受け入れないといけないんだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

健康なのは、その人が偉いからじゃない

先日他界された、坂本龍一さんが語った死生観(朝日新聞2023年4月3日付)

 

 「人間というのは、愚かなもので、自分の意識、つまり脳だけが過剰に肥大している。自分がコントロールできている部分なんて、僕は5%くらい。自分の意識だけが自分の生を決めているなんて、錯覚に過ぎない

 「病気になるのは弱くて価値が低くなる? そんな偏見や差別は、無知としかいいようがない。僕たちは自分たちの免疫システムに依存して生きているだけ。健康なのは、その人が偉いからじゃない

 

確かに、中年過ぎても健康で活動的な人たちを見ると、食生活に気を付けたり、運動したり、身体にいいことをしているんだろうな、偉いな

 

と思い

 

あちこちガタがきている人や病気を患っている人を見ると、食生活が乱れていたのかな、身体動かしてなかったのかな、と否定的な見方をしてしがち(私の場合)

 

だけど、それだけだろうか・・・と時々思ってた

 

ある人は、100歳超えても驚くほど元気だったりする

寝たきりじゃなく、頭もまずまずしっかりしている

 

かと思えば、まだ60代で病を得て亡くなる人もいる

 

世界的に有名な音楽家だろうが、そのへんの町のおじいちゃんだろうが、関係ない

タバコを吸おうが、酒を飲もうが、健康オタクだろうが、これも関係ない

 

健康で長生きできるよう心掛けるのは、もちろんよいことと思う

でも、自分の意識や努力だけで、それができるとは限らないんだと思う

 

病気(身体もメンタルも)になるのは弱い人で、ダメな人

私の実家は、この考えだった

でも、違うんじゃないだろうか

 

 

坂本さんは、「痛みに弱い」と仰った

私も痛みに弱い 痛いのは嫌です

 

あの世へ旅立つ前に、苦しまれたと読んで、気の毒に思った

痛みを感じず、ラクに旅立った欲しかった

 

 

 

ずっとやってみたかった陶芸

以前から、自分で陶器を焼いてみたいなぁ、と思っていた

今住んでいるところでは、「これいいな」と思える和食器に出会えないから

 

地元の人が焼いた、小振りで素朴なコーヒーカップを近所のコーヒー屋で見つけて

ひさびさにワクワクして、オットに買ってもらい、ずっとお気に入りだった

でも、引っ越しした時、包み方が悪くて割れてしまった

 

ファーマーズマーケットで、そのカップを作った人と話して

市でやってるアートクラスに焼き物のコースもあって、格安で習える、と教えてもらった

 

それからずいぶんたって、やっとこの春、その陶芸クラスをとれることになった

いつも人気で、今年もすでに満員だったが、キャンセル待ちの順番が回ってきた

ずっとやりたかったんだし、と申し込んでお金も払った

 

・・・なのに・・・どうも、ワクワクしない

それは、去年の秋から始まって、今もずっと続いている鬱っぽい無気力のせい

 

せっかく念願の焼き物を習えるというのに、どうしても心が重い

素直に「楽しみ!」と思えない

こういう気分でクラスに参加すると、なんか心ここにあらず、というか

現実と乖離した状態になって

楽しめないのはもちろん、ちゃんと学ぶこともできず

下手すると途中から行かなくなりそう

 

なので、クラスをキャンセルすることにした

すでに払った授業料は全額戻ってくるし

また、次のコースもある

 

キャンセルの電話をし終わると、ホッとして、気持ちが軽くなった

 

 

 

大谷選手を育てたご両親

メジャーリーグでもWBCでも大活躍の大谷翔平くん

YouTubeで探せば、それこそ山のように関連の動画が出てくる

 

ご両親がどうやって大谷選手を育てたのか

そのインタビュー動画をいくつか見て、「やっぱりそうなのか」と思わずにはいられなかった

 

どう育てたいとか、家訓のようなものはなく

ただただ、可愛い可愛いと思って育ててきた

相談されれば意見をいうつもりだったけれど、子どもたちは皆自分で決めてきた

 

子どもの様子を見ながら、愛情をもって、気長に見守る

 

そういうご両親に育てられたからこそ、今のような好青年になったんだなぁ・・・と

 

コーチとしてずっとそばにいた父親の3つの教えも

一生懸命、元気に声を出す

一生懸命、キャッチボールする

一生懸命、走る

「ヒットを打ちなさい」とか「エラーするな」とか「ファインプレーしなさい」とかではなくて、誰でも出来ること

 

誰でも出来ること

 

子どもの様子を見て、無理させることなく、その子なりの成長をサポートしていく親

大谷選手が高校に入学するまでの15年間、彼はこういう両親のもとにいた

 

その同じ15年間、私の毎日はどうだった?

大谷選手とは全く違う、比べ物にならない

天と地の差ぐらいある

母親との心のつながりもなく、それどころか私をどう扱っていいかわからない母親

そんな母親を拒絶するようになった私

母、姑、父の大人の葛藤に満ちた、不安定な家庭

そんな不安な家庭が、3年ごとに引っ越しをする

住む土地が、住む家が、学校が、友達が、文化が、言葉(方言)が、子どもだった私を取り巻くすべての環境が変わる

なのに、私の母親はそんな私を見守るすべを知らない

それどころか、自分が躁うつ病になる

私がどんな子どもなのか見ようともせず、自分の理想を押し付ける父親

正しいのは自分だけ、正論を振りかざし、言葉の暴力で家族を責め、痛めつける父親

 

ありのままの私は、そんな両親と祖母につぶされた

 

つぶされながらも、なんとか生き延びようとし、今日まで苦しみながらも生きてきた

 

大谷選手が持つ、偽りのない明るさも、リラックスした心からの笑顔も、私にはない

困難に直面し、一度は落ち込んでも、また気を取り直して、出来ることをやってゆく

そういう強さも私にはない

 

でも、それは仕方のないことなんだ

そういうふうに育っていないんだから

 

私が、これまでずっと生きづらさに苦しんできたのも、ある意味当然だった

 

 

 

 

 

 

動けない、動きたくない

去年の8月初めから、突然、急降下し始めたメンタル

(初めてではなく、これで再再発・・・だと思う)

 

今回の不調のきっかけとして、具体的に思い当たることはあまりなくて

 

それまでの半年くらい、いろいろと予定を入れて動き過ぎて、心身ともにくたびれたのか

8月、9月と普段ならほとんど付き合いのないオットの親戚たちと会うことが続き、いつもなら使わない気を使ったからなのか

去年の秋から、かかわったカウンセラーと相性がよくないことがついにはっきりしたからなのか

 

なんかほんと動けない

若い頃は、不登校にもならず、引きこもりもせず、会社でも大方普通に働いていた私にも

ついに、最後の最後になって

 

動けない

動きたくない

何もしたくない

 

という時が巡ってきてしまったのか