メジャーリーグでもWBCでも大活躍の大谷翔平くん
YouTubeで探せば、それこそ山のように関連の動画が出てくる
ご両親がどうやって大谷選手を育てたのか
そのインタビュー動画をいくつか見て、「やっぱりそうなのか」と思わずにはいられなかった
どう育てたいとか、家訓のようなものはなく
ただただ、可愛い可愛いと思って育ててきた
相談されれば意見をいうつもりだったけれど、子どもたちは皆自分で決めてきた
子どもの様子を見ながら、愛情をもって、気長に見守る
そういうご両親に育てられたからこそ、今のような好青年になったんだなぁ・・・と
コーチとしてずっとそばにいた父親の3つの教えも
一生懸命、元気に声を出す
一生懸命、キャッチボールする
一生懸命、走る
「ヒットを打ちなさい」とか「エラーするな」とか「ファインプレーしなさい」とかではなくて、誰でも出来ること
誰でも出来ること
子どもの様子を見て、無理させることなく、その子なりの成長をサポートしていく親
大谷選手が高校に入学するまでの15年間、彼はこういう両親のもとにいた
その同じ15年間、私の毎日はどうだった?
大谷選手とは全く違う、比べ物にならない
天と地の差ぐらいある
母親との心のつながりもなく、それどころか私をどう扱っていいかわからない母親
そんな母親を拒絶するようになった私
母、姑、父の大人の葛藤に満ちた、不安定な家庭
そんな不安な家庭が、3年ごとに引っ越しをする
住む土地が、住む家が、学校が、友達が、文化が、言葉(方言)が、子どもだった私を取り巻くすべての環境が変わる
なのに、私の母親はそんな私を見守るすべを知らない
それどころか、自分が躁うつ病になる
私がどんな子どもなのか見ようともせず、自分の理想を押し付ける父親
正しいのは自分だけ、正論を振りかざし、言葉の暴力で家族を責め、痛めつける父親
ありのままの私は、そんな両親と祖母につぶされた
つぶされながらも、なんとか生き延びようとし、今日まで苦しみながらも生きてきた
大谷選手が持つ、偽りのない明るさも、リラックスした心からの笑顔も、私にはない
困難に直面し、一度は落ち込んでも、また気を取り直して、出来ることをやってゆく
そういう強さも私にはない
でも、それは仕方のないことなんだ
そういうふうに育っていないんだから
私が、これまでずっと生きづらさに苦しんできたのも、ある意味当然だった