父の血 その2
家族や親戚など、身内に対する父の異常とも言える言動は、時として凄まじかった
年老いた母親の胸ぐらを掴んで、引き倒さんばかりになった時は、手が出たが
ほとんどは、激しい言葉と強硬な態度による暴力だった
家族で夕飯のテーブルについて、鍋を囲んでいたある晩
椅子に腰かけた、背中が丸くなり小さくなった祖母には、ポータブルコンロの上に乗った鍋は、高すぎて手が届きにくい
私は「おばあちゃん、取ってあげようか」と声を掛けて、祖母の器に鍋の中身をよそおうとした
途端に横に座った父から
「余計なことをするな!なんでも自分でできるんだから、自分でやらせろっ!」
という罵声が飛んだ
故郷の高知に住む姉(私の伯母)のところでは、包丁を使って魚をさばくことの苦手な伯母をコテンパンに批判した
伯母は、自分が苦手な魚の処理は、後妻として嫁いだ年の離れたご主人にやってもらっていた
伯母夫婦には、何の問題もないことだ
そのご主人が亡くなり、未亡人になった伯母を「魚もさばけないようで女と言えるか!」という論理で、しつこく非難した
魚の他にもまだいろいろ批判したいことがあったんだろう
3人でこたつにはいりながら、父は自分の姉に対してしつこく説教と批判を重ね
ついに伯母は泣き出した
私は、そばに座ってだまって父の罵声を聞いていた
私は、いつしか、父の罵声はあまり考えることなく、右から左へ聞き流すようになっていた
私が高校生か大学生だった、ある日、毎度の父からの厳しい批判にいたたまれなくなった母が、家を飛び出していった
わかる、そりゃぁ、こんな話聞いていたい訳がない
そう思いつつ、そのままテーブルに座っていた私に向かって父は
「おいっ!ママを探しに行ってこいっ!」と命令する
あきれた私は
「自分が怒らせたんだから、自分で探しに行けば?」と冷ややかに言い返した
父の返事は「おまえは冷たい女だなっ!」だった
母の人生の後半、入退院が繰り返された時には、函館の母の長兄の家に電話をかけて
「こんな病気があることは結婚前から分かっていたはずだ!」
「おやじ(母の父親)が、そんな風なことを結婚前に言っていたぞ!」
「責任を取れっ!」
みたいなことを電話口で、激しく、口汚く怒鳴り散らした
後ろで聞いていた私は、ぞっとした
これで、母のほうの親戚とは縁が切れた、と覚悟した
父のこういう異常な面を知っているのは、長い事、母、祖母、妹と私、だけだった
東京に住んでいた叔父もある程度知っていたはずだが、ほとんど行き来がなかった
長崎時代の部下だった長いおつきあいになるご夫婦も、数年前に、ついに父の怒号の洗礼を受けた
折に触れ、美味しい食事を作ってもてなしてくれ、母亡き後に、母親がわりのように妹や生まれたばかりの甥のことを気遣ってくださっていた奥さんを、どういう理由でか、電車の中で大声で怒鳴りつけたらしい
家族ぐるみのおつきあいになって、関係が近くなりすぎたから、被害にあったわけだ
当然ながら、ご夫妻は、父から徐々に距離を置くようになった
でも、普通のひとは、父の本性を知らない
実際に被害を受けてみないと、それがどういうものなのか、わかってもらうのはむずかしい
どうせ、他の人にはわかってもらえない
そう思って、あきらめるしかなかった