はりぼてタコのひとりごと

(旧)なめたらいかんぜよ!タコの毒吐きブログ

母がそばにいない

幼稚園にあがる前の私の記憶に出てくるのは、母よりも祖母だ

 

おんぶされて散歩にいったのも

「しんびょうまてまて」と寝る前に、枕元でお話をしてくれたのも

私が近所の家にあがりこんで、ちゃぶ台に載ってたお漬物を食べたことを笑ったのも

母ではなく、祖母だった

 

母は近所の電気器具屋かどこかで、働いていたらしい

 

数年前に、思い立って父に「どうして初めての子供の私をおばあちゃんに任せて、ママは働きに出たの?」と尋ねた

返事は「家に、女手はふたつ必要なかったから

 

ハイカラな街、函館で、商いをする家に生まれて、乳母日傘で育ち、私立の女学校で人気者だった、美人でスタイルも抜群だった母

高知の片田舎で、貧乏ながら、料理もうまく、やりくり上手、着物も縫うし、何でもできた祖母

このふたりが、小さな社宅に同居すれば、そりゃ、母の出る幕はなかったであろう

 

難しい父の母である祖母は、さらに輪をかけて難しい人だった

 

赴任先の函館で恋仲になって、結婚、新婚旅行を兼ねて、転勤先の東京を目指して東北を南下してきた若夫婦を

「自分が先に家(社宅)に入って、嫁を迎える」と言い張って、実際そうしたらしい

 

祖母は私のことは、かわいがってくれたと思う

でも、母がそばにいない寂しさ、物足りなさは、いつもあった

 

その当時の記憶で、これもほんとうにあったのかどうかわからないが

ある晩、私を抱いた母が「○○ちゃん、ママと一緒に死ぬ?」と尋ねた記憶がある

私は、まだ返事などできない年齢だった

 

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