父の血
こうしてブログに過去のことを書いていると、ふと思う
「ああぁ~、なんか、私もパパと同じことしてるじゃん 」
母が亡くなって、勤めていた左遷先の関西にある会社を退職して、市川の自宅に戻ってしばらくたった頃
父から自伝めいた内容の葉書が、時折届くようになった
偶然その内容を見た、友達は「お父さん、大丈夫?」と心配そうに私に尋ねた
その心配は、父の健康とか妻が亡くなって精神的に参っているのでは、というたぐいの心配ではなく、ハガキに書いてある内容の異様さに驚いて
「お父さん、ずいぶん異常な人みたいだけど、大丈夫なの?」
というのが、本音の心配だった
彼女の尋ね方でわかった
それは回顧録だが、読んであまりいい気持ちになる内容ではなかった
父は、書き終わったその回顧録を、大学の先輩で、長年お世話になっていた小さな出版社をされていた方の助けを得て、自費出版した
うすい冊子になった回顧録を、父は家族、親族はもちろん、長年つきあいのあった友人や会社時代の部下たちにも、贈った
冊子になった時点で、あまり気は進まなかったが、もう一度通して読めば、どうして父がこれまでこういう生き方をしてきたのか、その理由がわかるかもしれない、と思って、読んだ
そういうことは、冊子として読んでも、何もわからなかった
父の「心情」が、ぜんぜんみえない、伝わってこない
その後、何年も経ってから、また読んだ気がするが、その時も同じだった
なぜ、自分の母親に、あれほどひどい仕打ちができたのか
なぜ、こんな人間に育ってしまったのか
その回顧録を読んでも、まったく見えてこない
書いてあることは、時系列に起こったことと
家族、親戚、友人、知人に対する批判、恨み、決めつけ、がほとんどだ
心温まるようなエピソードなんて、ひとつもない
私のみたところでは
父は、ほんとうのところは、母親(私の祖母)が嫌いだったんだと思う
どうして嫌いになったのか、回顧録を読んでも、さっぱりわからない
ただ、長男である兄(伯父)が自分の好きな女性と所帯を持ったことを怒って
「お前の世話にはならん!××(父)のところへ行く!」と言い放った母親の面倒を見るのは、次男である自分のつとめ、と固く思い込んでいた節がある
父には、兄の他に嫁いだ姉ふたりと所帯を持った弟がいた*
*今も健在なのは、叔父だけ
ほんとうは嫌なのに
「本来面倒をみるべき兄貴の世話にならない、というなら、僕がみるしかないじゃないか!」
ということだったんじゃなかろうか
そういう怒りが、不満がなければ、年老いた母親の着物の胸ぐらを父がつかんで、ひきずるようにし、下着をつけない祖母の恥部が、私の目の前ではだけるような、そんな壮絶な場面を私が見ることはなかったはずだ
私も去年の誕生日で還暦を迎えた
洗面所で顔を洗って、ふと目の前の鏡を見て、ぎょっとすることがある
年輪を重ねた私の顔に、父の顔が重なることがあるからだ
昔、母がよく「あんたは、○○のおばさんに似ている」と言った
要するに母にも父にもあまり似ていない、という意味だ
私は、ある意味、ほっとしていた
美人の母に似ないのは残念だが、あの父に似ていないのは有難かった
なのに、今、自分の顔に父を見る
まるで、ホラー映画を見ている気持ちだ