はりぼてタコのひとりごと

(旧)なめたらいかんぜよ!タコの毒吐きブログ

他人との距離感

ここでは、自分の中にたまったドロドロのヘドロを吐き出している それとは別に、日々のあれこれを思いつくままに、別のところで書いている そこにコメントが書かれると、時々、困ることがある もちろん、嬉しい時もある 最近になって、毎日コメントを書く人…

疎遠な関係

これまでの60年の間、30代半ばまでずっと実家で暮らし、母が亡くなった後、市川の自宅マンションを出て、新松戸で2年くらい一人暮らし、ハワイで部屋を借りてしばらくひとりで暮らし、そして、結婚して、オレゴンで暮らしてきた 私がひとりで暮らした部屋や…

父の愛人、ヘルパーK

私は厚かましい人は、嫌いだ 誘われもしないのに、自分から「○○ちゃんの学芸会、私も一緒に見に行っちゃおうかしら~」などと言い出すヘルパーKは、最初から好感が持てなかった 里帰りの時に、何度か会う機会があった 父のヘルパーとして、茶飲み友達として…

父の血 その9ー老いらくの恋

父の 老いらくの恋 は、私には、まあそれもいいか、と思えた その頃には、物理的にも精神的にも感情的にも、父からずいぶん距離を置いていたせいだろう 恋のお相手、ヘルパーのKさんは、小太りで、大きな声で、おしゃべり好きな、ひと言で言えば、悪気のな…

父の血 その8

母が急死した後もしばらく、父は関西の冷蔵会社の役員を務めた 一部上場の水産会社からやってきたお飾りのようなもので、仕事らしい仕事もなかったらしい 母が亡くなり、そこを退職するまでの数か月の間に、父は派手な健康問題を起こした ある日の夕方、帰り…

大自然のなかで

55歳になる年の春、初めてひとりで、ワイオミング州にあるグランドティトン国立公園内のリゾートで、泊まりこみで夏の仕事をした ロッジにあるギフトショップの店員として働いた ちょっともめごともあったけど、ほぼすべてが楽しかった 何よりもよかったのは…

父の血 その7

海外に住むようになって、里帰りすることがあると 父は、私のスケジュールを勝手に仕切った 里帰りの飛行機代は、私が自分で払っているのに、私は自分のスケジュールを自分の好きなように組めない 滞在中の私の食事予定を、朝、昼、晩、毎日、勝手に決めた …

母のこと -7 薬は要らなかった

精神病院って、ほんとうに必要なんだろうか? 母に限って言えば、母は精神病院に入院する必要はなかったと思う 精神病院または精神科の閉鎖病棟へ見舞いに行ったことがある人なんて、あんまりいないと思うけど、あそこは私にはものすごく怖いところだった 行…

続 阪神淡路大震災 

卓上コンロのガスボンベを載せたカートを引っ張りながら、JRの階段を上ったり下りたりして、乗り換え、乗り換え、川西の家に着いた 家で何をしたのか、今となってはぜんぜん覚えていないが、週末の一泊か二泊だから、たいしたことはできなかったはずだ 買い…

阪神淡路大震災

阪神淡路大震災が起こった時、すでに父は取締役をしていた水産会社から、関西のxx冷蔵という会社に左遷になって、母とふたり川西の新築一軒家に住んでいた 妹はすでに看護士になっていて、都心に部屋を借りて一人暮らししていたと思う 私は、市川の自宅マ…

自分がわからない

大人になってから、どうにも違和感を感じることがあった 例えば、友達と温泉に行く 服を脱いで、ロッカーにしまう 風呂場に行って、体を洗ったり、浴槽につかる 風呂から上がって、体を拭き、化粧品をつけたり、髪をドライヤーで乾かしたり そういうなんてこ…

父の血 その6

いつから父のことが嫌いになったのか、わからない 家の中で、正しいのは父ひとりだけだった 誕生日とかお出かけとか、楽しいはずの日は、必ずと言っていいほど 父の機嫌が悪くなることで、終わった だから、楽しいはずの日も「最後はどうせパパの機嫌が悪く…

根無し草

ずっと自分のことを「根無し草」だと感じていた 母とも父とも心のつながりが感じられず 近くにいてくれる祖母になつくと母を裏切るようで、ほんとうにはなつけなかった 妹が生まれても、10歳も年下だから、姉妹で遊ぶ、というよりも 私が小さな妹の面倒をみ…

何のために生きているのか

中三の秋から、やおら始めた受験勉強で、なんとか新設の都立高校に受かり そこでは、成績もそこそこよく 大学はなんとかひとつ引っ掛かって、私立の女子大の英文科に進んだ 授業にはちゃんと出たし、勉強もしたけれど なぜそれを勉強しているのか 将来何にな…

シンデレラ・エクスプレス

いちばん身近な存在のはずの、母親とも父親とも、幼い頃から信頼関係が築けなかった いつの頃からか、自分の周りに壁を作って、鎧兜を身に着けて、自分を守っていた 何かあれば、すぐ心のシャッターを下ろして、ひざを抱えて丸くなる 私の心は、どんどん固く…

自分を大事にする その2

母は私に「自分を大事にするって、どういうことなのか、わからない」 と言ったが 私も、自分を大事にするって、どういうことなのか、わかってなかった よって、当然のことながら、今考えれば、自分をまったく大切にしない行動をとった 一番、顕著なのが、そ…

ブラックホール

最近になって、つくづく思う 母親が子供に与える影響は、大きい ものすごく大きい 父親の比じゃない 世の中で、大きな仕事をする人は、ほぼ例外なく、母親を慕っている、愛している、感謝している それを公言できる ジェーン・グドオール女史も RBG(ルース…

鮨の順番

戦争中に少年時代を過ごし、飛行機乗りになりたいと思い、食べるものも満足にないなか育った父は、食べることが好きだった 戦争中、カボチャばかり食べさせられたから、もうカボチャはいらんと言っていた 長崎、広島、伊丹と引っ越した先々で、お客があると…

自分を大事にする

「自分を大事にするって、どういうことなのか、わからない」 これはある日、母が私に言ったことだ 3人の機能不全な大人に囲まれて、機能不全な家庭に育った私は、いつも答えを探し続けていた 自分の「問い」がなんなのかわからないまま、「答え」を探してい…

おばあちゃんっ子

私は、子供の頃から、自分はおばあちゃんっ子だと思っていた ものごころついた頃から、そばにいたのは母ではなく、もっぱら祖母 幼稚園にあがる前に、朝目覚めた時に横に座っていたのは、祖母 私をおんぶして子守りしてくれたのも、祖母 寝る前にお話しをし…

父の血 その5

父は、人間として、男として、未熟だったんだろう 当然、夫としても父親としても 社会的な立場から見れば、ちゃんと機能している大人と認識されていただろうが 家庭においては、機能不全の自分勝手な人間だった そして、今思えば、酒乱だったんだろう 戦後復…

父の血 その4

戦時中のモノがない、食べ物もない時代に、多感であろう少年時代を過ごした父は モノを買う時はよいものを 食べる物は、美味しいものを求めた 戦後の高度成長期で、経済的にゆとりもあったんだろう、少々値が張っても、いとわなかった 品物を選ぶセンスも悪…

父の血 その3

父に反抗しながらも、父の言動に私は振り回された 高校受験をきっかけに英語が得意で好きになったから、大学は英文科に進もうと思った 受験は、数学が苦手で嫌いだったから、共通一次のある国立ではなく 得意な文系科目に絞って勉強したほうがいいと思った …

凍った湖

社会人になって、仕事や飲み会などで家にいる時間が減った 職場では一所懸命仕事をすれば、上司がほめてくれるし、取引先の人たちとのやり取りも楽しかった きちんとやれば、ちゃんと評価される これまで家で経験してきたような理不尽さは、まったくない う…

父の血 その2

家族や親戚など、身内に対する父の異常とも言える言動は、時として凄まじかった 年老いた母親の胸ぐらを掴んで、引き倒さんばかりになった時は、手が出たが ほとんどは、激しい言葉と強硬な態度による暴力だった 家族で夕飯のテーブルについて、鍋を囲んでい…

父の血

こうしてブログに過去のことを書いていると、ふと思う 「ああぁ~、なんか、私もパパと同じことしてるじゃん 」 母が亡くなって、勤めていた左遷先の関西にある会社を退職して、市川の自宅に戻ってしばらくたった頃 父から自伝めいた内容の葉書が、時折届く…

広島の暮らし

長崎に居る頃から、私はすでに子供のくせに、冷めた考えを持ち始めていたと思う 「どうせまた3年経てば、引っ越して、転校になる」 だから友達を作っても仕方ない、とまでは考えてなかっただろうけど 友達、という言葉は、私にとって長い事「空虚」なものだ…

長崎 城山小学校

父の転勤で、鶴見から長崎へ家族4人で引っ越した 小学校1年から3年まで、城山小学校に通った でも、学校のことは、先生のことも、教室のことも、同級生のことも ほとんど何も記憶がない 借り上げ社宅は、爆心地に近く、家の近くを大きな川が流れていて、そこ…

鶴見の団地

私が生まれた時、一家4人が住んでいた亀有の借り上げ社宅から、鶴見の新築の社宅団地へ引っ越した 借り上げ社宅の区域が道路になるから、立ち退かないといけなかったんだと思う 多分、東京オリンピックのためだろう 今、思い出したが、亀有の他にも板橋にも…

栗色のピアノ

洋館や教会があちこちにある、異国情緒豊かな港町の函館で育ったせいだろうか 私立のカトリック女子高へ通ったせいだろうか 海産物卸業をする家に生まれ育った、乳母日傘で、ソフトボールのピッチャーだったべっぴんさんの母は、クラシックが好きだった でも…