はりぼてタコのひとりごと

(旧)なめたらいかんぜよ!タコの毒吐きブログ

2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧

おばあちゃんっ子

私は、子供の頃から、自分はおばあちゃんっ子だと思っていた ものごころついた頃から、そばにいたのは母ではなく、もっぱら祖母 幼稚園にあがる前に、朝目覚めた時に横に座っていたのは、祖母 私をおんぶして子守りしてくれたのも、祖母 寝る前にお話しをし…

父の血 その5

父は、人間として、男として、未熟だったんだろう 当然、夫としても父親としても 社会的な立場から見れば、ちゃんと機能している大人と認識されていただろうが 家庭においては、機能不全の自分勝手な人間だった そして、今思えば、酒乱だったんだろう 戦後復…

父の血 その4

戦時中のモノがない、食べ物もない時代に、多感であろう少年時代を過ごした父は モノを買う時はよいものを 食べる物は、美味しいものを求めた 戦後の高度成長期で、経済的にゆとりもあったんだろう、少々値が張っても、いとわなかった 品物を選ぶセンスも悪…

父の血 その3

父に反抗しながらも、父の言動に私は振り回された 高校受験をきっかけに英語が得意で好きになったから、大学は英文科に進もうと思った 受験は、数学が苦手で嫌いだったから、共通一次のある国立ではなく 得意な文系科目に絞って勉強したほうがいいと思った …

凍った湖

社会人になって、仕事や飲み会などで家にいる時間が減った 職場では一所懸命仕事をすれば、上司がほめてくれるし、取引先の人たちとのやり取りも楽しかった きちんとやれば、ちゃんと評価される これまで家で経験してきたような理不尽さは、まったくない う…

父の血 その2

家族や親戚など、身内に対する父の異常とも言える言動は、時として凄まじかった 年老いた母親の胸ぐらを掴んで、引き倒さんばかりになった時は、手が出たが ほとんどは、激しい言葉と強硬な態度による暴力だった 家族で夕飯のテーブルについて、鍋を囲んでい…

父の血

こうしてブログに過去のことを書いていると、ふと思う 「ああぁ~、なんか、私もパパと同じことしてるじゃん 」 母が亡くなって、勤めていた左遷先の関西にある会社を退職して、市川の自宅に戻ってしばらくたった頃 父から自伝めいた内容の葉書が、時折届く…

広島の暮らし

長崎に居る頃から、私はすでに子供のくせに、冷めた考えを持ち始めていたと思う 「どうせまた3年経てば、引っ越して、転校になる」 だから友達を作っても仕方ない、とまでは考えてなかっただろうけど 友達、という言葉は、私にとって長い事「空虚」なものだ…

長崎 城山小学校

父の転勤で、鶴見から長崎へ家族4人で引っ越した 小学校1年から3年まで、城山小学校に通った でも、学校のことは、先生のことも、教室のことも、同級生のことも ほとんど何も記憶がない 借り上げ社宅は、爆心地に近く、家の近くを大きな川が流れていて、そこ…

鶴見の団地

私が生まれた時、一家4人が住んでいた亀有の借り上げ社宅から、鶴見の新築の社宅団地へ引っ越した 借り上げ社宅の区域が道路になるから、立ち退かないといけなかったんだと思う 多分、東京オリンピックのためだろう 今、思い出したが、亀有の他にも板橋にも…

栗色のピアノ

洋館や教会があちこちにある、異国情緒豊かな港町の函館で育ったせいだろうか 私立のカトリック女子高へ通ったせいだろうか 海産物卸業をする家に生まれ育った、乳母日傘で、ソフトボールのピッチャーだったべっぴんさんの母は、クラシックが好きだった でも…

きつねはどこ?

私はどんな子供だったのか 父の長姉である伯母によれば お店にはいって、きつねうどんを注文して、うどんが運ばれて来ると 「きつねはどこ?」といって、箸で探してたそうだ きつねを食べるつもりだったのか・・・な? 家族で寄席にいったらしい 舞台の袖か…

父のこと

いつ頃から、父を嫌うようになったのか 最初は、好きだったはずだ 祖母におぶわれながら「パパはいつスイカをかってきてくれるの?」と聞いたらしい 父が買ってきてくれた(んだと思う)白い犬のぬいぐるみが、お気に入りだったらしい 首にピンクのリボン(…

母のこと-6

暮れも押し迫った頃に亡くなった伯父の通夜と葬儀に、父と参列した 葬儀が終わった後、川西で留守を守る母に電話をしたら 電話には出るが、ほとんどしゃべらない 何か尋ねても、答えが帰ってこない これはおかしい また調子が悪くなったに違いない 父とふた…

母のこと-5

結婚後、最初に母に精神的な不安定が発症したのは、父の栄転で家族揃って長崎へ引っ越した後だった 「課長婦人なんだから、がんばらなきゃ」と張り切りすぎた結果らしい でも、通院でわりとすぐに収まったようだ 私は小学生の低学年だったから、あまり覚えて…

母のこと-4

通夜も葬儀も滞りなく、終わった 火葬場で、母の棺が焼却炉に入り、扉が閉じられると 妹が泣きながら何か叫んでそちらに行きそうだったので、後ろから引き留めた その後は、彼女のその時のボーイフレンド、今の旦那さんに任せた 母が亡くなってから、葬儀が…

母のこと-3

昨日、1月10日は、母の命日である 何回目の命日なのか、数えていないから覚えていない 母は、衝撃的なかたちで、この世を去った 1月10日、私は当時勤めていた東京の会社で、残業をしていた たぶん8時過ぎだったろう、職場の広いフロアは、ほとんどひとけがな…

母のこと-2

母との思い出で、思い出すたびに胸が締めつけられるようになることがある 広島に住んでいた頃のような気がするから、小学校高学年だ 私は、何かのことで母に手伝ってほしいと頼んだか、何かを尋ねたんだと思う はっきり覚えていない はっきり覚えているのは…

母のこと

母は、とても美しい女性で、ミス函館にも選ばれたらしい スタイルもよかった 子供の私に、いつも上等なかわいらしい洋服を着せてくれた 不思議なことに、当時来ていたワンピースやセーターなどの手触りを、今でもかなりはっきり思い出せる ただ、紺やグレー…

転校生

うちは、父親の転勤で引っ越しが多かった ほぼ3年ごとに、引っ越した 生まれたのは、東京は葛飾区、柴又の近くの亀有である 一軒家の社宅住まい その一帯が道路になるので、神奈川県鶴見にある団地の社宅に引っ越した ここで小学校にあがったけど、ほとんど…

怒った子供だった

大人になって行った専門学校の心理学の授業で 子供の心理についてがあって、母親と離れ離れになって、やっと再会できた時 子供の反応には3通りある、と ひとつは、「お母さーん!」と呼びながら、母親に駆け寄って抱き着いて喜ぶ ふたつめは・・・うーん、憶…

母がそばにいない

幼稚園にあがる前の私の記憶に出てくるのは、母よりも祖母だ おんぶされて散歩にいったのも 「しんびょうまてまて」と寝る前に、枕元でお話をしてくれたのも 私が近所の家にあがりこんで、ちゃぶ台に載ってたお漬物を食べたことを笑ったのも 母ではなく、祖…

最初の記憶

小さい頃の記憶は、あまりない 一番最初の記憶として思い出すのは 朝、目が覚めて、布団の上で起き上がったら、そこに座っていたのは 母ではなく、同居していたおばあちゃん(父の母親) 思わず「ママは?」と思ったか、言ったか その後、お誕生日のケーキを…

元旦とその翌日

元旦は、毎年比較的穏やかだった なんでかはわからない 母以外は、ゆっくり起きて、朝風呂に入って、新しい服を着て(セーターとか) 元旦の膳にのぞむ その後は、家族揃ってバスに乗って地元の神社へ初詣 帰り道、決まって寄るのがケンタッキーフライドチキ…

川底のヘドロ

この毒吐きブログは、実は2020年のもっと早くに始めたかった でも、グズグズしてしまって、晦日になった でも、始めたからよしとしよう 今年の9月1日に、2年弱の間、在宅で寝たきりになっていた父が亡くなった 享年88歳 亡くなる一週間くらい前に、入院して…