はりぼてタコのひとりごと

(旧)なめたらいかんぜよ!タコの毒吐きブログ

アメリカと日本の違い

去年の前半は調子があがっていて、一泊旅行をしたり、2週間のロードトリップに出たりしていました

が、8月に入って、また鬱っぽくなりました

まるで電気のスイッチを、パチンと切ったかのよう

 

これは一昨年にも起こったことで

あまりにしんどいので、何とかしたいと思い

11月から、アメリカ人のセラピストに週一回会うようになりました

セラピー料金は、安くはありませんが、背に腹は代えられません

 

通い始めて、今ほぼ2か月

実感できる効果は、まだ感じられません

が、家でひとり鬱々とするよりも、話せる人がいるほうがよいと思い、通い続けています

 

でも、最近になって、やっぱりお国柄の違い、があるのではないか

と思い始めました

 

アメリカと日本では、言葉だけでなく、いろんなことが大きく違います

歴史も文化も、民族としての気質もまったく違う日本で生まれ育ち、30代後半になって初めてアメリカに住み始めました

そんな私が、アメリカの歴史、文化、気質をバックグラウンドにする人から、アドバイスを受けると

どうしても、何かズレを感じてしまうような・・・そんな気がするのです

 

過去に、日本人のカウンセラーにも複数通ったことがあり、それが上手く行かなかったので、今回はアメリカ人でもいいから、なんとか・・・と思ったのですが

果たしてよかったのかどうか・・・

 

迷っています

 

 

 

困っていること

困っていることがある

 

新型コロナにまつわること

 

ワクチン接種やマスク着用について、それをはなから否定してそのことばかりを論ずるサイトやブログは、最初からほとんど見ないのでかまわないんだけれど

 

他のこと・・・例えば

どうやって自分らしく生きるか、とか

できるだけ自然の近くで、自分なりにエコも考えながら暮らす、とか

機能不全家庭で育ったアダルトチルドレンがどうやったらラクに生きられるか、とか

 

そういう内容に共感して、または「ああ、こういう考え方もあるのか」と

その人の考えを受け入れたい気持ちでいる時に

 

いきなり、そのひとたちから

ワクチンは信用できない

PCR検査で陽性でも、無症状なら感染ではない

マスクでは感染は防げない

アメリカ前大統領は、世界の悪を駆逐するために働いている

 

などなど、唐突に発信されると、すごく困る

 

そこ以外のポイントは、共感できるのに

ここで、こういう真っ向から違う意見を述べられると

この先もこの人の考えを自分の参考にしていいのかどうか

混乱してしまう

 

他の部分は、共感できるのに、どうしてここだけ真逆なの?

なぜ?

 

 

私も、最初は、できるならワクチン接種はしたくなかった

 

でも、周囲が接種してゆき、身近な人たちに大きな副反応や弊害もなく

気持ちの良い屋外で過ごすことが増える夏が近づき

マスクやソーシャルディスタンスの規制が緩和されてゆく中

 

ひとり「私はワクチン接種してないから」と

マスク着用し続ける勇気も信念もなかった

それに、コロナに罹って、酸素吸入器につながれたり、死にたくはなかった

だから、ワクチンを接種した

 

その後も、ワクチン未接種の人たちの感染が増え、病床が足りなくなりつつある

という報道を聞くにつけ

「ああ、やっぱり接種しておいてよかった」

と思った

 

そうはいっても、未だに、外出する時は、マスク着用もしくは、必要な時に備えて携帯している

外食もめったにしないし、人が大勢集まるイベントにも行かない

ワクチン接種前と変わっていない

 

新型コロナは

空気感染する

無症状でも、他の人に感染させる可能性がある

持病があったり免疫力が低下している場合は、重症化や死亡の可能性が高い

 

こういう情報をもとに

自分のため、他人のためにも、ワクチンを接種したほうが、気持ちがラクになる

と思ったし、思っている

 

なのに、上に書いたようなことがあると

また、気持ちがざわざわしてしまう

 

 

 

 

 

 

疲れたから、お酒を飲もう

生まれてから60年、母とは心のつながりが持てなかったけれど、父からはずっと精神的・心理的に虐待されてきたけれど、祖母にはほんとうには優しくできなかったけれど

 

それでも、非行に走ることなく、髪を染めることなく、薬物に手を出すこともなく、売春をすることもなく

義務教育を終え、都立高校を卒業し、私立の女子大へ行き、一部上場企業で15年間働いた

高校からOL時代までは、むしろ優等生だった

 

OLだった最後の数年は、躁鬱病で閉鎖病棟での入退院を繰り返した母を見舞い、急死する前、寛解時には、数か月一緒に暮らした

 

母が亡くなり、会社を辞め、ハワイへ語学留学し、専門学校に通い、そこで今のオットに出会い、アメリカ本土へ引っ越した

 

機能不全家庭で育っていなければ、多分オットとは結婚しなかっただろう

優しい人だが、日常の暮らしぶりの違いが大きすぎて、私が振り回される

20年以上一緒にいるのに、いまだに対処できない

 

子供の頃から、今に至るまで、いつも無意識に心も身体も緊張している

だから、今もリラックスする、という感覚がよくわからない

 

自分ではない、何か「もっとよい人間」になろうと、見られようとしていた

 

自己中心的で、冷酷で、批判的で、外面がいい

 

それでも、自分なりに、よかれと思ったことを、これまでやってきた

情緒不安定で、常に罪悪感や焦燥感がつきまとい、何をしても本当には楽しめなかったけれど、それにも関わらず、振り返ればいろんなところで、いろんなことをやってきた

私の人生、それでもう十分なのかもしれない

 

自己啓発の本も山のように読んだ

高いお金を出していろんなセラピーに言ったり、講座を受けたり

心療内科やカウンセリングに行ったり、スピリチャルに頼ったり

ペルーに伝わる魂を浄化するセレモニーに参加したり

超高額の心理学講座以外は、いろいろ試してきた

 

どれも中途半端なまま

 

母の病状が薬で上がったり下がったりするのを目の当たりにしたこともあって、精神科の薬は信じていない

 

結局は、無条件に愛してくれるのは、母親だけなんだと思う

大人になってからでは、しかも60年も生きてきた後では、誰も私の心の底に疼く痛みをわかってはくれない

私だって、たとえ友達でも、その人の気持ちをすべて理解するなんて無理なんだから、それは当然のことだと思う

 

やっぱり、自分の気持ちをわかってあげられるのは、自分しかいない、ってことか

 

こんなことの繰り返し もう疲れた

 

でも、自殺はできない

なら、お酒を飲もう

 

 

 

消極的な自殺

「消えたい」と思うことはあっても、「自殺したい」と思ったことはない

 

そんな勇気はない

 

万一、自殺することがあるなら、雪山で睡眠薬を飲んで、眠ったまま死ぬ、しかないと思っていた

それだって、やるとなったら準備が面倒だし、いろいろやっているうちに面倒だし、怖いしで、決行できない気がする

 

私はタバコは吸わない

大学生の頃、カッコつけるために、一年くらいふかしていたことはあるけど、「美味しい」思ったことはないし、胸まで吸い込んだこともない

 

薬物もやらない

ここならマリファナも合法だけど、吸いたいと思わない

競馬も競輪、博打など、賭け事も一切しない

パチンコもしない

ホストクラブは、行ったこともない

整形もしない

ブランド品を買いあさることもしない

借金もない

 

世間でいう「悪いコト」「散財すること」に、興味がない

 

唯一するのは、お酒を飲むこと

それだって、若い頃みたいに二日酔いになるほどは、飲みたくないし、飲めない

でも、不安になると、鬱になると、お酒の量が増える

酔うことで、気持ちがリラックスして、嫌なことを考えなくてすむ気がして、飲む

助けを求める感じで、飲む

 

こうして、毎日、量の多少はあれどお酒を飲み続けることが

私にとって「消極的な自殺行為」なのかもしれない

できれば、苦しまずに死にたい

 

 

 

 

ありもしないもの

物心ついた時から、心に淋しさを抱えていた

今も抱えている

 

幸せそうではない母

一緒にいてくれない母

私を理解してくれない母

私に寄り添ってくれない母

 

母と祖母の間にある確執

 

父と母の不仲

 

父の言葉の暴力

 

家庭の中で日常茶飯事だった

嫌なこと

悲しいこと

腹立たしいこと

が起こる度

 

こんなはずじゃない

 

と心の中で突っぱねてきた

 

「親を反面教師にしてね」と母から言われ

家庭で起こっていることを否定し

そうじゃないものを探し続けた

 

その結果

私は、ありもしないものを探していたんじゃないか

 

 

ざわざわ感

昨日は、オットの腹違いの姉兄とその子供たち、姉兄の母親と2時間ほど一緒に過ごしました

夏休みの観光で、週末の間、近くに滞在しています

 

今は観光名所になっている、昔、富豪が住んでいた大きなお屋敷の見学です

 

矢印に沿って、そこここにある掲示板の情報を見ながら、自分たちで館内を巡り、その後は、庭からポートランドの街並みとマウントフッドを眺めて、写真を撮りました

 

義兄に会うのは、1年振り

義姉と彼女の娘たちは、ほぼ10年振り

ふたりの母上は、初対面

 

特に、気を使ったつもりはないのですが、やはり疲れました

皆、それぞれ、自分の好きなように動き、話していて、私もそうしていたつもりですが

なんだかやっぱり馴染めない感があります

まぁ、めったに会わない、実のところはよく知らない親戚なんだから、当然かもしれませんが

 

次のスポットへ行く彼らと別れて、家に戻って、お昼にハードサイダーを飲んだら、その後、うたた寝してしまった

 

人と会うと、その後、大抵、心がざわざわする

「わたし」がどこにいるのかわからない感覚

 

今日は、オットも含めて、皆で外で晩ご飯を食べることになっていて

また「わたし」を見失ってしまうんだろうか